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俺が彼女を認識したのは二年の春、自分が日直の日だった。チャイムが鳴るまであと数分。黒板を消すのを忘れていたことを思い出して立ち上がると黒板は既に消された後だった。同じく日直の女子は隣の席だが授業が終わってから立ち上がることなく友達と話していたからこの女子が消したわけではない。なら誰が?
そう考えて教室をぐるりと見渡すと窓際の女子のセーターが白っぽく汚れていた。おそらくあれはチョークの粉だろう。名前を覚えていなかったので教卓に貼られた座席表を確認する。これが俺が彼女の名前を覚えた、彼女の優しさに気がついた切っ掛けだった。
それからも彼女は誰が日直の日でも消されていない黒板を見ては消していた。彼女の友人は、は真面目だねなんて言っていたけれど本当にそうだ。なんで日直でもないのにわざわざ自分からすすんで仕事をしてんだ。誰かから感謝されるわけでもなく、ひけらかすわけでもなく。

季節が変わる頃には、彼女の優しさに気づく奴は増えていった。しかしそれをいい事に“さんが消してくれるから”と黒板消しをサボる奴も現れた。

「お前、日直じゃねーのになんでいつも黒板消してんの?」
「別に誰かがやらなきゃいけないことなら私がやってもいいでしょ」
「……あっそ」

彼女の手から黒板消しを奪い、雑に黒板を消していく。彼女はただ目を丸くして見ているだけだ。

「じゃあ、俺がやってもいいよな」

そう声を掛けると彼女はくすりと笑って俺の肩についたチョークの粉を払ってくれた。


その日の出来事を境に、俺と彼女は話すようになっていた。何か特別な話をするわけではない。それは部活の話だったり、好きな音楽の話だったり、購買で買った新作パンが美味しかったことだったり、数学の先生のおかしな癖のことだったり。と話していての意外な一面が見えたりするのは楽しかったし、の目線から見える話を聞くのは何だか新鮮で面白かった。中でもスポーツ観戦の話題になった時は驚いた。野球にバスケにバレーやテニス、それに加え格闘技も見るらしい。女子と格闘技の話で盛り上がったのは流石にはじめてだった。


「なあ、お前今度の野球部の試合、観に来いよ」
「今度の?」
「二日の土曜日、秋大本戦の初戦なんだけどよ」
「え、観に行ってもいいの?」
の都合があうならな」
「行く!」

彼女はすぐに制服のポケットから携帯を取り出し、予定を入力していた。覗いてみると、そこには“倉持くん、試合”と入力されていて、“野球部、試合”じゃなくて俺の名前があることにらしくないけれど少し浮かれてしまった。……あれ、ちょっと待て。なんで俺、浮かれてんだよ。


§§§


私が彼のことを知ったのは一年の頃、二クラス合同の体育の授業の時だった。男子の方から一際目立つ甲高い笑い声、興味本位で見てみたら思わず見惚れてしまった。運動神経がいい、とはまさに彼のような人のことを言うのだろう。確か、あれは隣のクラスの……と、名前を思い出そうとしたところで、先生が彼の名前を呼ぶ。そう、倉持くん、野球部でスポーツ特待生のちょっと雰囲気が怖い倉持くんだ。
私が彼のことを好きになったのはそれから何日か経った、雨の日だった。風邪で休んだ数学の科目係の友人の代わりに、私はクラスメイト全員分のノートを運んでいた。一冊だと軽いノートも、流石に全員分になると重くて運ぶのはなかなか大変だ。さらにこの雨、誰かが窓を開けたままにしていたのか廊下は酷く濡れていて、そこで私は足を滑らせ思い切り転んでしまった。ノートは散らばってしまったし、痛いし、足は濡れて冷たいし、周りの人はただ見ているだけで知らんぷり。そんな時、声を掛けてくれたのが倉持くんだった。きっと名前も知らないであろう私の為に散らばったノートを拾い集め、教室まで一緒に運んでくれた。雰囲気が怖いなんて思ってごめんなさいと心の中で謝って、そして声に出して御礼を伝えた。

しかし、それからは少女漫画みたいに何かがあるわけがなく、何の接点もないまま、時間は過ぎて行った。体育の授業ではこっそり男子を盗み見たり、球技大会や体育祭ではこっそり応援をしたり。でも、自分から行動を起こすような勇気は私にはなかった。自分の意気地のなさには我ながら溜息が出る。
しかし、そんな私は高校生活二度目の春、チャンスの一年を迎えた。なんと、クラス替えで彼と同じクラスになれたのだ。これはとてつもないチャンスだ! ……と、意気込んでいたけれど、それまで何も出来なかった私がクラスが一緒になっただけで彼と親しくなれるはずがない。きっかけをどう作ればいいのかわからない。一限目の終わり、大きなため息をついて、自身の机に両肘をついてぼんやりと黒板の上に掛けられた時計を見る。ああ、もう休み時間も終わるなあ、あれそういえば黒板まだ消されてないなあ、日直誰だっけ。ぼんやりと黒板の右隅を見る。……あ、今日の日直倉持くんだったんだ。ちらりと倉持くんの席を見てみると立ち上がる気配はない。倉持くんと一緒に日直の当番になっている女子をちらりと見てみても彼女も話すことに夢中らしく、立ち上がる気配はない。……別に、誰が消したっていいよね。気づいて欲しい気持ち半分、気づいて欲しくない気持ち半分でこっそりと黒板を消して何もなかったように私は席に戻った。なぜだろう。黒板を消しただけだというのにドキドキしている。苦しくて苦しくて仕方が無い。


彼が日直の日だけ黒板を消していたら気持ちがバレてしまうかもしれないからという情けない理由から、私は誰が日直でも関係なく、授業が始まる五分前に黒板が消えていなければ誰かに声を掛けることはせず、こっそりと消すようになっていた。……こっそり、消していたつもりだったんだ。

「お前、日直じゃねーのになんでいつも黒板消してんの?」

振り向いてみると、思ったよりも近いところに彼がいて心臓がどくんと大きな音をたてる。緊張しているのがバレないように、一呼吸おいてから、ゆっくりと言葉をつむぐ。

「別に誰かがやらなきゃいけないことなら私がやってもいいでしょ」
「……あっそ」

しかし私の口から出たのは可愛くない言葉だけで、脳内で自身を責め立てる。せっかく声を掛けてくれたのにこれでは会話も続かないではないか。やってしまったと後悔しながら続きを消そうと黒板に向き直る。

「じゃあ、俺がやってもいいよな」

そう聞こえたと同時に、視界が少し暗くなって、私よりも大きな手が右手の黒板消しをさらう。今おこったことがどういうことか理解できなくて、頭の中にたくさんの疑問符が頭の中に浮かぶ。
彼が雑に黒板を消し終える頃には、彼は制服にたくさんのチョークの粉を被っていた。その姿が面白くて思わず笑ってしまう。そして勇気を出して、私はその肩についたチョークの粉をはらった。

この日をきっかけに、私は彼とよく話すようになった。彼のことを知れて、ますます惹かれていった。……あともう少し頑張って、秋大が終わったら気持ちを伝えよう。倉持くんのことが好きですって、ちゃんと伝えよう。




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